島津家当主、貴久の娘で島津五姉弟の長女。弟妹達からは『よしねえ』と呼ばれ慕われる、おおらかな母親のような人柄と美貌をもったお茶目な人物。
個性豊かな弟妹と、島津家を支える貴久の間に身を置きながらもおっとり、ゆったりした自分らしさを見失わない姿は島津家の要で有り、貴久もその存在感に一目置いている。
家族のために自らを犠牲にすることを厭わない、頑固な一面もある。
三人の弟と共に、九州を制覇した島津氏第16代当主。
智勇に優れていただけではなく、細川幽斎から古今伝授を受けたり、関白近衛前久との親交が厚かったなど教養人でもあったと言われている。
徳川家康に招かれ九州を統一した時の話を請われた際に話す事はないと断ったが、家康が強く要請するので渋々『義弘をはじめとする3人の弟たちや、家臣団が相反することなく一致団結して戦ってくれたので、私が先頭に立ち戦に出たことはなく、ただ鹿児島の城にて留守番をしていただけのことです』と答えた。義久自身遠慮もあったのだろうが、恥ずかしいことと認識していたようである。しかし、義久が帰ったあとに家康は家臣らに『大将自ら動くことなく、家臣をうまく使う優れた采配を持っている。これこそ大将の鏡である』と賞賛したという逸話がある。