通説では三好政長の子であるとされている。 細川晴元の家臣として三好長慶と戦ったこともあるが、長慶の和睦に応じ臣従、以後は、有能な前線指揮官として活躍した、三好三人衆の一人。 三好長慶の勢力拡大に貢献し、丹波攻め(1555年)や畠山高政攻め(1562年)のいずれにも参陣して武功を挙げている。 その後、織田軍に敗れて動向が不明となったが、しばらくたって起こる大坂の陣で活躍した三好清海入道が本人であるとの俗説がある。