羽柴家

大谷吉継
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武将史実

武将史実

羽柴秀吉の家臣として活躍した人物で、『百万の兵を与えて存分に指揮させてみたい』と秀吉に称されたほどの名将で、三成と供に文治派でありながら、軍才も持ち合わせた希有な武将。五奉行の一人。業病を患い、白い頭巾と面体で顔を覆っていたと伝えられる。 秀吉との間を取り次いだのは石田三成であるといわれており、二人の間には確かな友誼があったらしく、三成に勝機無しと考えつつも、関ヶ原では三成に味方して西軍に付き奮戦したとされる。関ヶ原の地にあっては最後まで西軍を支えたが、裏切りが重なり側面と後背から包囲されてついにその地で自刃した。 前半生は資料がほとんど無く、出自に付いても諸説有り。母が北政所(秀吉の正室ねね)の側近だったという説があり、秀吉が一字を与え『吉継』と名乗っていたことから、もしかしたら秀吉の落胤だったのでは……という説を唱える者もいる。

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