羽柴家

福島正則
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武将史実

武将史実

桶屋の息子とも大工の子とも言われるが、真偽は定かではない。一説には秀吉の従兄弟だったとも。幼少より秀吉の小姓として仕え、18歳で初陣を飾る。秀吉子飼いの武将の筆頭格として活躍した賤ヶ岳七本槍の一人。武断派として多くの合戦に加わり戦功を重ねた。石田三成とは不仲で、秀吉没後に朋友の加藤清正らと三成を襲撃、関ヶ原では東軍武将として宇喜多勢と激闘を繰り広げている。 武将としての勇名は揺るぎないが、粗暴で問題を起こすことも多かった。恐妻家であったともいわれ、また、酒にまつわる逸話が多い。酒に酔って失態を演じたとか、怪我で静養していた友人を見舞い、酒を勧める友人に『身体に触る。共に一杯だけなら喜んで』と告げ、その一杯をさも美味そうに飲みながら語り合ったという話まで。酒に絡んで家宝『日本号』を手放したとも。 一時は50万石を越える領地を有したが、徳川の世になって以降、過失を重ねて大幅に減封された。元和6年に死去。享年64。一説には自刃したともいわれ、正則一代記の絵巻には最後に何者かが切腹している姿が描かれているものも存在する。

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