伊達家家臣にして政宗よりひとつ年下の、いとこで幼なじみ。
幼少の頃から政宗と行動を共にし、次代の伊達を担う者のひとりとして育ってきた。
明るく元気で前向きな性格。
見た目に違わず精神的にも幼いところがあるが、前向きな姿勢は合戦においても発揮され、決して後退しない心構えで戦に臨む彼女の勇ましい姿は、自然と兵を勇気づける。
伊達成実(だて しげざね)。伊達政宗の重臣であり従弟。政宗の片腕として活躍した。
幼少期から伊達家に仕え、天正13年(1585年)の人取橋の戦いでは、千対三万の絶望的な状況でありながら敵軍を釘付けにし、軍功を挙げる。翌年、その功績から二本松に三万八千石の所領を与えられた。その後も天正17年(1589年)の摺上原の戦いなどで活躍し、多大な軍功を挙げる。
伊達家の中でも特に武勇に秀でた猛将で、外交手腕にも長け、優れた教養人でもあった。『智の片倉景綱』に対して『武の伊達成実』とまで称され『伊達の双璧』『伊達三傑』の一人として今日でも広く知られる。