奥州伊達家、輝宗の一子。
幼少時に病を得て右目を失っているが、残った左目には強い光を宿している才気あふれる武将。
幼少の頃からともに育った人物たちと、これからの伊達家を背負っていくと期待されているが、若い武将たちの暴走に譜代の家臣たちはことのほか気を使っている様子。
そんな中にあっても臆することなく己を貫き、これからの伊達家を見据えて勤めている。
奥州の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
伊達輝宗の第一子に生まれた。幼名『梵天丸』。子供の頃に疱瘡(ほうそう)で右目を失明したことから後に『独眼竜』と呼ばれる。十八歳で家督を継いだ後、近隣諸将を次々と制圧、東北のほぼ全域を掌握する。
西欧への興味が強く、スペインに使節団を派遣するほどであった。戦のみならず、謀計にも長けた人物で、諸将から『もう少し早く生まれれば天下を』とまで評された戦国時代末期の名将。
隙のない印象の政宗であるが、酒にだけは滅法弱く、酔って失敗した逸話がいくつか残されている。中には将軍秀忠との約束を二日酔いですっぽかし、仮病を使って言い抜けたという話まである。