真田昌幸の長男で、真田幸村の兄。父である昌幸と供に、武田氏滅亡後の混乱から真田家を守るために貢献した。 昌幸は幸村を秀吉に出仕させる一方、信之には家康に仕えるように命じ、信之は真田家のためという父の心情を理解して家康に仕える。その縁で後に本多忠勝の娘を娶っている。夫婦仲は大変良かったと言われている。 関ヶ原の合戦時は父と弟が籠城する上田城攻略に参加。二人の説得に赴くが果たせなかったとされる。戦後、信之が父と弟の助命を願い出たことで二人の仕置きは流罪、蟄居に留まった。信之は父の旧領、上田領を与えられ、善政を敷いてその地を治めた。 元和8年(1622年)松代に領地替えとなったが、その地でも真田松代藩の礎をしっかりと築き92才で隠居、93才で没した。