豊後大友氏の家臣。立花宗茂の実父に当たる。同じ大友氏配下の武将立花道雪に劣らぬ勇将で、島津氏が大軍を率いて攻めてきた際に岩屋城に寡兵で籠り、半月もの間抵抗して玉砕した。 岩屋城攻防戦で勝機はないに等しかったが、紹運の部下で逃亡したり島津軍に降伏した将兵は一人もいなかったといわれる。 それだけ紹運は部下から慕われていた。 戦国期の九州を代表する名将・義将の一人として知られる。