織田家

柴田勝家
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武将史実

武将史実

信勝の死後、信長の家臣となった。美濃斎藤氏攻め、上洛作戦、畿内平定戦などでは常に織田軍の先鋒として参加し、信長の重臣中の重臣として数々の武功を挙げた。やがて信長と将軍・足利義昭が対立して信長包囲網が敷かれると、織田軍の有力武将として近江、摂津など各地を転戦する。元亀元年(1570年)には六角義賢を近江長光寺城の戦いで破った。 信長は勝家の武略を高く評価して厚い信任を置いた。勝家が信長から賜った越前の領国と、与力とされた前田・佐々などを加えた多くの軍勢は、織田家臣の中でも随一の領国と兵力であったと言われている。また、勝家の信長に対する忠誠心は絶対であったとまで言われている。 武骨な性格でその秀でた武勇から鬼柴田、かかれ柴田とも呼ばれた。

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