踊ることが大好き――極めた芸は評判を呼び、御所で舞を披露したことが自慢。
浮き世離れした言動故か、日々の糧に困って行き倒れたりすることもある、少し困った天真爛漫な不思議っ娘。
その芸を広く人々に披露することで世の平安に貢献できると信じ、彼女は今日も踊り続ける。
もしも城下で困っている彼女を見かけたら、優しく手を差し伸べて、彼女の夢のお手伝いをしてあげよう。
日本固有の伝統芸能『歌舞伎』の始祖。
出雲大社の鍛冶職、中村三右衛門の娘で幼少より巫女として勤め、舞踊の才を発揮した。その舞の才を活かし、大社修繕の勧進を行おうと諸国を巡業して歩き、好評を博した。
慶長8年(1603年)、四条河原で男装して行った舞も好評。この頃になると一座を真似た芝居などが遊女達に盛んに演じられるようになる。しかし、風俗の乱れを嫌った徳川幕府に女性による歌舞伎は禁じられ、以来歌舞伎は現在のように男のみの形となった。
歌舞伎の基礎を築いた阿国は一時消息を絶つが、その間も各地で歌舞伎を演じた形跡があり、晩年には大社に帰り、尼となって過ごして75才で没したと言われている。