伊賀の忍者。
非常な実力者だが控えめな人物で、体質的に不幸で不遇。
その不幸は本人のみならず他人をも巻き込んでしまうため里から追い出された哀れな男。
実力的には申し分ないが、思わず苛めたくなるところがある。しかし苛めると素直にいじけてしまうのでほどほどに。
『三太(さんた)』と三回呼ぶとやってくるとか、来ないとか……。
伊賀三大上忍として有名だが、史実にその存在を求めることは難しい。一節には百地丹波その人であると言われるが、その孫だとも言われ正体は曖昧模糊としている。一説には個人の名ではなく、百地家頭領が受け継ぐ名だったのではとも言われる。
伊賀に織田信長の息子、信雄が侵攻した『天正伊賀の乱』に際し、これと徹底抗戦をした伊賀忍者達を指揮したと言われている。見事に信雄を追い返した彼らは、結果として信長当人による伊賀侵攻を招き、敗退した。
伊賀忍術の極意を霧隠才蔵に伝授したとも伝わる。また、石川五右衛門が弟子だったが三太夫の若奥さんと駆け落ちしたとも言われるが、真偽は不明。