甲斐、武田家の当主の影武者として、信玄を陰に日向に人知れず支えている人物。
幼少時から影として生きる事を託された彼女の信玄として振る舞いは完璧で、その存在に気づいている者はいない。
本当の彼女は、ひたむきで暖かく、優しい女の子だが、そんな彼女の存在を知るのは信玄と、先代当主から秘密を託されたひとにぎりの人物のみである。
信玄の弟。信玄の家臣の一人として働いた。『甲陽軍鑑』には80騎を指揮したと記されている。
元亀4年(1573)五月に剃髪、以後『逍遙軒信綱』と名乗っている。これは兄、信玄の死の時期と重なるため、兄の死を契機に出家したものと考えられる。その後は信玄の後を継いだ信玄の子、勝頼に仕えたが、武田家は織田家の侵攻により滅亡。信廉は永らえたが、その後、織田軍の残党狩りに捕らえられて処刑された。享年51。
武将として信玄に尽くす一方で、絵を描くことに才を示し、父母の肖像画など、多くの作品を残している。高野山持明院に収められている『武田信玄寿像』は逍遙軒筆と示す文書も有る(一般には長谷川信春(等伯)が作者とされている)。