南部家家臣。
南部家の後継問題の際は、信直のために腐心し、信直を支えて南部家に尽くしている忠臣。
女性的な魅力にあふれた人物で、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花を自然体で実戦している。
そのために求愛者が後を絶たないが、当人は控え目な性格も有り、いい寄る相手の全てに『ごめんなさい』を繰り返す日々を送っている。
北 信愛(きた のぶちか)南部家の重臣。
南部晴継が死去した後の南部家の後継問題で、南部信直の擁立に尽力した。その後は信直の側近となり、内政や外交面で南部家を取り仕切った。
慶長5年(1600年)『関ヶ原の合戦』が起こると、南部氏は山県に出陣した。その留守を狙って、旧和賀領主、和賀義忠の子、忠親が一揆を起こし、花巻城は本丸まで攻囲された。北信愛は城兵を指揮して花巻城を守り切った。信愛は信直が死去した後は利直に仕え、慶長18年8月、花巻城にて死去した。享年91(または93)であったと伝えられている。