陸奥、南部家の(自称)当主。
南部家の後継問題で揉めた際、新当主が信直と定まったがそれを認めず、公然と南部家当主を自称する見た目が派手な人。
見た目に違わず言動も派手だが、実績面は言動ほど派手ではなく、当人以外は誰も南部家当主と認めていない。
それでも今日も、南部家当主として振る舞い続けている。
陸奥国、南部氏の氏族。
九戸氏は南部家24代当主、南部晴政の元で勢力を拡大させたが、晴政の養子、南部信直と折り合わず、南部信直を擁した北信愛の連合と対立を深めていく。
晴政の死後、南部家は晴政の実子、晴継が継ぐこととなったが、晴継は父の葬儀の折りに暗殺される。政実は弟の九戸実親をその後継に据えようと画策するが果たせず、信直が当主となったことを不服とし、自らが南部家当主であると公言するようになる。
天正18年(1591年)、秀吉の『奥州仕置』により秀吉は信直を南部家当主と正式に認めるが、政実はこれを受け入れずに信直に反旗を翻す。信直は秀吉に助けを求め、秀吉は6万を超える討伐軍を派遣、政実は降伏後、斬首された。