シナリオ紹介

時は戦国、乱世の時代。
応仁の乱を皮切りに戦国時代は幕を開ける。
数多の大名家が覇権を競う中、尾張の国では大うつけと呼ばれた織田信長が家督を継ぎ、尾張を、そして天下を統一せんと動き出す…

登場大名家一覧
主な出来事の年表

登場大名家一覧

南部伊達蘆名相馬武藤最上
佐竹小田結城古河足利千葉里見
那須宇都宮山内上杉北条今川松平
織田斎藤北畠武田村上長尾
椎名神保能登畠山朝倉浅井六角
足利細川荻野波多野松永三好
筒井一色山名尼子別所赤松
浦上宇喜多三村毛利大内
河野長宗我部一条大友秋月少弐
龍造寺有馬相良伊東肝付島津

主な出来事の年表

1450年

【1467年】 応仁の乱がおこり、戦国時代の幕開け

【1493年】 北条早雲が伊豆に進出

1500年

【1508年】 武田信虎が勝山城を攻め、叔父の信恵を討ち取る

1510年

【1516年】 北条早雲が三浦家を滅亡させ相模国を支配

【1519年】 武田信虎が躑躅ヶ崎に居館を移す

1520年

【1523年】 毛利元就が家督を継ぐ

【1529年】 毛利元就が松尾城の高橋弘厚を討ち、石見に勢力を拡大

1530年

【1533年】 上杉朝興が武田家との同盟強化のため娘を武田信玄と婚姻させる

【1534年】 織田信長が誕生

【1537年】 豊臣秀吉が誕生

【1537年】 今川義元、定恵院(武田信虎の娘)と婚姻し、今川・武田の同盟が成立

【1538年】 第一次国府台合戦にて、北条氏綱が足利義昭と里見義堯の連合軍を破る

1540年

【1541年】 武田信玄が父・信虎を追放し、武田家当主となる

【1543年】 種子島にポルトガル船が漂着し、鉄砲が伝来

【1546年】 北条氏康が河越夜戦で山内上杉家・扇谷上杉家に勝利

【1547年】 徳川家康が今川家の人質として送られる途中に捕らえられ、織田家に引き渡される

【1548年】 織田家と斎藤家の講和が成立し、織田信長が濃姫と婚姻

【1548年】 上杉謙信が長尾家の家督を継ぎ春日山城に入城

【1549年】 今川義元が安祥城を攻め落とし、捕らえた織田信広と徳川家康を人質交換する

1550年

【1550年】 村上義清が戸石城を攻めていた武田信玄を破る(戸石城の戦い)

▼ゲームスタート年▼

【1551年】 信長の父、織田信秀が死去。嫡男信長が尾張統一へ動き始める

【1551年】 陶晴賢が謀反を起こし、大内義隆が自害する (大寧寺の変)

【1553年】 武田信玄と上杉謙信が初めて川中島で衝突する

【1553年】 三好長慶が足利義輝を追放し、畿内を支配

【1554年】 豊臣秀吉が織田信長に仕える

【1554年】 武田家・北条家・今川家の三国同盟が結ばれる

【1555年】 織田信長が清州城を攻め落とす

【1555年】 毛利元就が厳島にて陶晴賢を襲撃(厳島の戦い)

【1555年】 武田信玄が福島城を攻め落とし、信濃全域を支配

【1556年】 斎藤道三が子の義龍との戦いに敗れて死亡

【1557年】 毛利元就が大内家を滅ぼす

【1557年】 織田信長が弟の信行を殺害、尾張統一へ

【1557年】 毛利元就が嫡男の隆元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景に教訓状を送る

1560年

【1560年】 桶狭間で織田信長が今川義元を討ち取る (桶狭間の戦い)

【1560年】 浅井長政が長年従属していた六角家を打ち破り独立する(野良田の戦い)

【1561年】 上杉謙信が関東管領に就任

【1561年】 川中島で武田信玄と上杉謙信がついに激突(第四次川中島の戦い)

【1561年】 斎藤義龍の急死を機に織田信長が美濃へ侵攻、墨俣城を奪う

【1561年】 大友家と毛利家が門司城をめぐって争う

【1562年】 織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ

【1562年】 三好長慶が畠山高政を打ち破る(教興寺の戦い)

【1564年】 里見義弘が上杉家と連携し、北条氏康を挟撃するも敗れる(国府台合戦)

【1565年】 松永久秀らの襲撃により、足利義輝が死亡

【1565年】 武田信玄の四男勝頼が織田信長の養女と婚姻し、同盟が成立

【1567年】 織田信長が稲葉山城を攻め落とす (稲葉山の戦い)

【1567年】 浅井長政が織田信長の妹・お市の方と婚姻する

【1568年】 織田信長が六角家を打ち破り上洛を果たす(観音寺城の戦い)

【1568年】 足利義昭が十五代将軍に就任

【1568年】 大友家と毛利家が北九州で激突

【1568年】 武田信玄が今川家との同盟を破棄し、駿河への侵攻を開始

【1568年】 徳川家康との交渉で今川氏真が懸川城を開城、今川家が事実上滅亡する

【1569年】 武田信玄が小田原城を包囲(三増峠の戦い)

【1569年】 織田信長が伊勢を制圧するも、将軍義昭との関係が悪化

1570年

【1570年】 浅井長政が織田信長との同盟を破棄 (金ヶ崎の戦い)

【1570年】 姉川で織田・徳川軍が浅井・朝倉軍を破る (姉川の戦い)

【1570年】 石山門徒衆が蜂起し、織田信長と対立する(石山合戦)

【1570年】 山中鹿ノ助が尼子家の再興を図る(布部山の戦い)

【1571年】 毛利元就が死去

【1571年】 織田信長が比叡山に火を放ち、僧ら数千人を虐殺(比叡山焼き討ち)

【1571年】 北条氏康が病死し、氏政が家督を継ぐ

【1571年】 北条家が上杉家との同盟を破棄し、武田家との同盟関係を回復する

【1572年】 島津義弘が50年以上抗争を繰り返してきた伊東家を打ち破る(木崎原の戦い)

【1572年】 上杉家の家督争いの末、景勝が当主となる

【1572年】 加賀・越中で一向一揆がおきる

【1572年】 織田信長が武田家との同盟を破棄し、上杉家と同盟を結ぶ

【1572年】 武田信玄が徳川家康・織田信長の軍に勝利(三方ヶ原の戦い)

【1573年】 将軍足利義昭が武田家・朝倉家・浅井家・本願寺勢力らと結託し、信長包囲網を結成

【1573年】 武田信玄が病死

【1573年】 織田信長が一乗谷を攻め、朝倉家を滅ぼす (一乗谷の戦い)

【1573年】 織田信長の命で豊臣秀吉が小谷城を攻め落とし、浅井家が滅亡

【1573年】 包囲網に加わっていた松永久秀が織田信長に降伏する

【1574年】 織田信長が中江の城に籠った一揆勢力を焼殺

【1574年】 武田勝頼が徳川家の高天神城を攻め落とす(高天神城の戦い)

【1574年】 北条氏政が上杉家に属する関宿城を攻め落とし、関東地方制圧が加速してゆく

【1575年】 織田信長・徳川家康の連合軍が武田勝頼率いる武田軍に大勝 (長篠の戦い)

【1575年】 長宗我部元親が野根城・甲浦城を落とし、土佐を統一 (四万十川の戦い)

【1576年】 前将軍の足利義昭が毛利家を頼る

【1576年】 越前・加賀の一向一揆勢力と上杉家が和睦

【1576年】 織田信長が居城を岐阜城から安土城へ移す

【1577年】 上杉謙信が柴田勝家率いる織田軍を破る(手取川の戦い)

【1577年】 謀反を起こし篭城した松永久秀が織田軍に包囲され爆死 (信貴山の戦い)

【1577年】 織田信長の命を受けて、豊臣秀吉が姫路城を拠点に中国地方への侵攻を開始

【1578年】 上杉謙信が死去、景勝と景虎の家督争いが勃発

【1578年】 尼子勝久が織田信長を頼り、尼子家再興を図るも毛利家に敗れる(上月城の戦い)

【1578年】 島津家が大友家と合戦し勝利する(耳川の戦い)

【1579年】 上杉家の家督争いの末、景勝が当主となる

【1579年】 北条家と徳川家が同盟を結び、武田家を挟み撃ちする形に

1580年

【1581年】 徳川家康が武田家の支配していた高天神城を奪回

【1582年】 織田軍が攻め、武田勝頼が自害。武田家が滅亡

【1582年】 豊臣秀吉が毛利家支配下の高松城を水攻め(高松城の戦い)

【1582年】 本能寺の変がおきる

【1582年】 豊臣秀吉が中国地方から帰還し、明智光秀を破る

【1582年】 甲斐の覇権をめぐり、徳川家と北条家が対立

【1583年】 賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉軍が柴田勝家軍を破る

【1584年】 織田信雄が豊臣秀吉の関係が悪化し、徳川家康を頼る(小牧・長久手の戦い)

【1584年】 島津義久、家久ら島津軍が龍造寺隆信を討ち取る

【1585年】 豊臣秀吉が関白に就任する

【1586年】 豊臣秀吉の命を受け、仙石久秀が九州に侵攻するも島津家に大敗(戸次川の戦い)

【1587年】 島津家が豊臣家に降伏

【1587年】 上杉景勝が新発田城を攻め落とし、越後を統一

【1589年】 伊達政宗が蘆名義広を討ち取り、奥羽地方の南半分を制圧。蘆名家は滅亡

1590年

【1590年】 北条家が豊臣家に降伏、続いて伊達家と徳川家も下る(小田原の役)

【1597年】 足利義昭が死去

【1598年】 豊臣秀吉が死去

1600年

【1600年】 関ヶ原の合戦が起き、西軍が敗れ石田三成らが処刑される

【1603年】 徳川家康が江戸幕府を開く

1610年

【1615年】 大阪夏の陣が起き、豊臣秀頼が自害する。戦国時代の終焉