戦国時代から江戸時代の武将。伊達稙宗の曾孫で、伊達氏の濃い血を受け継いでいるが、30年近く父、盛胤と共に伊達氏と争った。しかし、関ヶ原の戦いの際に伊達政宗に相馬領を通過させている。関ヶ原では相馬氏は中立の立場を取り、ほとんど戦っていない為、改易をさせられそうになった。非常に多くの書状を残した筆まめな政宗と対比して、筆不精の義胤と呼ばれることもある。