天文17年に父の死去により家督を相続。関東に出兵してきた長尾景虎に呼応して、結城政勝領へ兵を進めるも敗退。以後も、結城、多賀谷、佐竹と戦ったが、短気なうえ目先のことしか見えないという大将としては致命的な欠点から、その性格を利用した策に簡単にはまってしまい次々と敗北した。しかし、譜代の家臣であった菅谷一族をはじめ優秀でかつ、いずれも命を懸けて忠誠を誓う家臣達に恵まれまた、支配されていた領民も、同様に小田氏をよく慕っていたことから永い間、小田家当主として存続できたといえる。