豊臣秀吉の正室・高台院の甥。天正13年に義理の叔父である羽柴秀吉の養子となった。「秀頼」が誕生した後、小早川隆景と養子縁組をした後は、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作ったとされる。その、関ヶ原の戦いの僅か2年後に急死。原因はアルコール依存症による内臓疾患とされている。