豊臣氏の家臣。大坂の陣で活躍。毛利元就を筆頭とする毛利家との血縁ではない。伏見城の戦いで格別な戦功を上げている。大坂冬の陣では、出撃戦を主張するも、籠城戦となったため、目立った活躍はなかった。夏の陣では真田信繁と共に徳川家康を追い込むが、真田隊が壊滅すると退却戦に転じ、炎上する大阪城で豊臣秀頼の介錯を行った後、息子と共に自害したといわれている。