宇喜多家家臣。
物腰柔らか、眉目秀麗で、良く女性と間違われる。
南蛮新教を信仰しており、人に接する姿や言葉遣いも柔らかな人物。
忠臣だが、家中ではあまり目立った存在では無く、普段は日々の仕事をこなしつつ、南蛮新教の教えを広めるためにあちこちで人を集めては語り歩いているらしい。
謎の多い武将で、名前の読み方もゼントウ、テルズミ、タケノリ、ナリトヨなど複数伝わり、判然としていない。
宇喜多家の家老を務めたが、台頭のきっかけは宇喜多家のお家騒動。この騒動後、宇喜多家の人材の多くは余所へ流れ弱体化したが、全登はその穴を埋め、摂政として家の建て直しに尽力し、結果を出すことで表舞台で名を知られるようになった。熱心なキリシタンとしても有名。
『関ヶ原の戦い』では主君に従って西軍に属し、全宇喜多勢の半数近い八千の兵を指揮下に置いた。前衛を務めて福島正則らと激戦を展開したとされる。敗戦を悟った後は主君の離脱を果たすべく殿として最後まで戦った。
その後は各地の武将を頼ってキリスト教の布教に努め、大阪の役には豊臣方として参陣、伊達勢と交戦した。最終的な消息は不明で、一説には南蛮に渡ったとも言われている。