家康に見出され小姓として仕えた後に取り立てられ、戦場で武功を重ねてきた。
若いながらも徳川四天王のひとりとして家康も強い信頼を寄せている。
家康に対する忠義心は強く、家康のためには死も恐れずに戦場を駆ける。
家康は直政を弟のようにも思っており、戦の度に傷をつけて帰ってくる直政を案じている。
多感な年頃のため、女性に対しては免疫が無い様子。
永禄4年2月19日に井伊直親の長男として生まれるが、祖父や父など一族の者の死が原因で井伊家は廃れていくが、天正3年、徳川家康に見出され井伊氏に復することを許され幼名の虎松を万千代と改めて、万千代と名乗るようになる。
さらに井伊氏の旧領の井伊谷を与えられ、家康の小姓として取り立てられた。
井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として有名で、徳川家きっての政治家・外交官としても名高い。
慶長7年2月1日に、関ヶ原で受けた鉄砲傷が癒えないまま、破傷風が元で死去。