天下三槍のひとつ『御手杵』を繰り、戦場を駆ける勇将。
戦場では自らを律しつつ果敢に打って出るが、普段はできる限り目立とうとせず、人目を避けるように身を処している。
日々の研鑽も、一人で黙々と打ち込むことが多く、そんな彼女の努力と苦悩を知る者はいない。
全ては彼女の心の多くを占める劣等感に原因があるらしい。
徳川家康の次男として遠州浜松で生まれた。
兄の信康が織田信長に切腹させられたため、次男である秀康が後継者となるはずであったが、羽柴秀吉との和睦の条件として、秀吉のもとへ養子として差し出された。
しかし、豊臣氏の後継者鶴松が誕生したことで、さらに結城家の養子に出された。
関ヶ原の後、秀康は家康より50万石を超える加封を受けたが、しばらくして病にかかり、34才の若さで死去した。