早くから家康に仕えてきた、家康が信頼を寄せる家臣のひとり。
知勇共に兼ね備えながら控えめの性格の人物で、徳川家の颯馬にとっては信頼できる親友。
家康に見出され戦場で武功を重ねてきた自分の境遇が直政に重なることもあり、直政には目をかけている。
徳川四天王中、武・智・政の均整が取れた、最も頼りになる人物だが、常識人でもあるため貧乏くじを引きやすく、苦労性な一面もある。
徳川家の重臣。
桶狭間の合戦後に家康に謁見、17歳で初陣を飾り、この時の功で家康から一字を賜った。以降、姉川・三方ヶ原・長篠など数々の合戦で戦功を挙げ、姉川の合戦時に信長から褒め言葉を賜っている。
本能寺の変の際は伊賀越えにも同行した。小牧・長久手の合戦では弾劾文をしたため秀吉挑発、秀吉の怒りを買いその首に十万石がかけられた。
内政面でも活躍し、達筆を買われて家康の祐筆の一人として大名たちと文書のやり取りなどもしており、上杉謙信に宛てた手紙が現存している。
本多忠勝とは同年齢であり、仲が良かったと言われている。