元百姓にもかかわらず信長に取り立てられ、武将としての才能を開花させる。
信長には『サル』と呼ばれて重用され、そんな信長のために懸命に尽くす人物。
非常に明るく、人に警戒心を抱かせないようなところがある。
譜代家臣がいないため新人発掘に力を注いでいる。
日ノ本統一を目指す家康にとって、最大の好敵手にして信頼に足る友人。
後の豊臣秀吉。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、天文23年頃から織田信長に小者として仕える。
清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて大きな成功をあげた。
そうして信長の感心を買うことに成功し、次第に織田家中で頭角をあらわしていった。
この頃、その風貌によって信長に「猿」「禿げ鼠」と呼ばれていたらしい。
信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより、京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後続の地位を得る。
その後、大阪城を築き関白・太政大臣に任ぜられた。豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。