徳川家の譜代家臣にして家康が強い信頼を寄せる人物のひとり。
徳川四天王一の武勇を誇る。
『蜻蛉切』という大槍を手に戦場を駆け、戦果を上げては無傷で帰還するという生きる伝説のような人物。
早い段階から家康に仕え、その成長を見守ってきた忠臣で、明るく挫けない性格の持ち主。
徳川家の颯馬を始め、康政、直政たちとも仲がよく、家臣にも慕われているが、あくまで武人としての人気であり不思議と色恋について噂になることはない。
徳川家の重臣。
幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年の桶狭間の戦いの前哨戦で初陣する。姉川の戦いにも参加、一言坂の戦いで殿軍を努め、武田方の小杉左近から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」との狂歌の落書をもって賞賛されたことが有名である。
鹿角脇立兜がシンボルで、天正12年の小牧・長久手の戦いでの活躍などにより、豊臣秀吉からも東国一の勇士と賞賛され、織田信長には、その並はずれた武勇を「日本の張飛」、さらには「花実兼備の勇士」と讃えられた。
生涯において参加した合戦は五十数回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。
愛槍の蜻蛉切は、「天下三名槍」の一つに数えられている。