20XX年、我が国では有事法制定が進展せず、有事における自衛隊の法的立場は相変わらず曖昧のままであった。だがそれを無視するかのように、周辺の政治・軍事的緊張は高まっていた。
不審船問題の多発や、外国人犯罪組織同士の抗争では機関銃まで使用され、警察官にも多くの殉職者が出るに至って、日本政府は海上保安庁をベースに、警察と自衛隊の間を埋める国境警備隊的な組織を作ることで、事態を乗り切ろうとした。
新組織は、海上保安庁をベースにすれば、新たに必要な法律の成立が最低限で済む。海上保安庁は国土交通省から切り離され、日本国家警備隊と改名され、内閣府の下におかれた。警備対象が海上だけでなく、島嶼、本土の全国的な治安も担当するために、陸上部隊や航空部隊の拡充が行なわれ、人員装備の一部を自衛隊、警察から転籍することになった。
もともと日本の警察は地方警察しかなく、米国におけるFBIのような全国をカバーする国家警察や広域警察組織がない。このため警備隊内部に国家警察の役割を担う国家警察局も設けられた。
この機に政府は、防衛庁を防衛省に格上げしようとしたが、野党の強行な反対に遭ったため、当面内閣府に防衛庁のまま置くことになり、この格上げ案は先送りとなった。
2002年9月17日の小泉首相の訪朝後も、日朝関係は一向に改善されないままであった。経済危機に瀕して国家崩壊の危機に直面した北朝鮮は、韓国や日本に向かう難民船の群れに紛れて、多数の武装工作船を動員し、偽札・麻薬などを工作船で密輸する手っ取り早い外貨獲得手段を強化し始めた。
しかし、北朝鮮の経済状況の悪化はとどまらず、北朝鮮政府は非常手段を講じることにした。まず「あくまで北朝鮮政府の感知しない、『亡命者』ないし『武装難民』が『自発的に』逃亡し、日本に逃れている」という立場を取った。無論これらの難民は、北朝鮮政府の意志によるものである。実際「難民」には多くの武器が供与されているし、世界最大といわれる第10特殊部隊をも投入されている。これらの「難民」に日本領土を原子力発電所などを含めて部分的に占領させ、その上で彼らに北朝鮮政府が帰国を呼びかけ、それが成功すれば日本政府から相応の援助を引き出そうという、居座りあるいは立ち退き料請求まがいのきわどい賭けであった。
日本政府は、すでに多数の小型船舶が日本を目指しているのを察知していたが、警察では手に負えず、自衛隊に防衛出動を命令すれば戦争になりかねないため、警備隊が事態の収拾にあたることになった。
大挙して押し寄せてきた「武装難民」が上陸したのは、主として佐渡島と能登半島であった。警備隊は新潟市に対策司令部を置き、これら「武装難民」に対処することとなった。まずは、なんとしてでも本土内陸への浸透を防がなければならない。彼らの上陸を能登半島先端のみで撃退するべく、警備隊は陸・海・空から総攻撃を仕掛けた。しかしパニック状態に陥った住民が無秩序な避難を始めてしまい、警備隊の行動に支障が発生。そのため、一部では防御線を突破されてしまった。
国家警察局の諜報活動により、事前に攻撃目標として察知していた能登半島の志賀原発と、柏崎市の刈羽原発には精鋭の守備隊が配備され、原発を死守せよとの命令が下されたのであった!