1990年8月2日、クウェートは歴史的にイラクの一部であり、欧米が決めた国境やクウェート王室には正当性が欠けているとして、イラクが突如、隣国クウェートに攻め込んだ。対してアラブ諸国の盟主を自称するサウジアラビアや他のアラブ諸国は多国籍軍を編成してサウジアラビアに展開し、クウェートに居座るイラク軍とにらみ合いが続いた。世に言う「湾岸危機」である。
米国を主力とする多国籍軍は船舶などによる重装備の揚陸、それに砂漠という気候下に慣れるための演習、兵站の構築などを重ね、満を持して翌年1月17日攻撃を開始した。これが「湾岸戦争」である。
勝敗はわずか43日で決した。この戦争では精密誘導兵器が多用され、誘導兵器のカメラからの映像も多数公開・報道され、まるで戦争ゲームのようだと評された。多国籍軍の死傷者はごくわずかで、それも同士討ちによるものが多かった。
当初ブッシュ大統領(父)はバグダッドまで進撃してフセイン大統領を裁くと主張していたのだが、クェートの領土が回復したところで進軍を停止した。結局、将来に禍根を残す結果となったのだが、それを実の息子のブッシュ現大統領が引き継ぐ形になるとは、誰も予想だにしなかったのではなかろうか?
その「湾岸戦争」から10年。9・11の多発テロ事件以降、米国のブッシュ(息子)政権は北朝鮮などと共にイラクを「悪の枢軸」と呼び、直接的な攻撃をほのめかしてきた。
一方、トルコは国民のほとんどがイスラム教徒であるが、イスラム教が国教というわけではない。また、NATOのメンバーであり、EC加盟を強く希望している。イスラエルとの国防上の協力や貿易も多い。
これらのことから、米国がイラクに侵攻した場合、条件次第ではトルコが参戦することもあり得るだろう。トルコが参戦すれば、米軍は単にトルコ領内の基地が確保できるだけではなく、黒海側に空母部隊も展開できる。そして意外に大きいのは、イスラム教徒が多いトルコの参戦により「イスラム教VSキリスト教」という宗教戦争の構図になることを避けられることである。
200X年、米軍は、空母機動部隊、巡航ミサイルを発射できる潜水艦隊を、多数湾岸に派遣。空軍の爆撃部隊、UAV・プレデター(無人偵察機)の武装型を多数導入して攻撃を行ない、ファオ方面から海兵隊を尖兵として上陸した。だが、イラク側も湾岸戦争の戦訓を十分に取り入れ、迎撃態勢を整えていた。
米軍は巧妙な囮作戦を駆使し、さらに弾道ミサイルの洗礼をうけながらも空中機動師団と空挺師団が加わり、バスラ、ナシリアなどの空軍基地を占領。また特殊部隊が後方攪乱にあたった。さらに空軍により、緊急展開部隊であるインテリアム旅団(米陸軍の緊急展開部隊で、それまで装軌車輌を中心だった米軍にあって装軌装甲車とITを活用した新時代のタイプの部隊)を空輸。形勢有利とみたトルコは、ついに米軍側に立って参戦を表明した。その見返りとして、トルコは米国からの経済・軍事支援も引き出した。
これによりトルコ内の航空基地が使用可能となり、在欧州米軍がトルコ軍とともに進撃。ところが事ここに至り、イスラム国であるトルコの「裏切り」に立腹したイランが、イラン・イラク戦争の過去を水に流し、イラク側に立っての参戦を表明。米軍の右側面を脅かすことになった。
戦局は混戦状態となった。イラクは弾道ミサイルに核物質を搭載して米軍を攻撃。近代まれに見る血みどろの地上戦が展開されたのである。