その頃、ヨーロッパにおける戦いは、フランスの屈服により
小康状態を得たと見られたが、1941年6月22日の
独ソ戦勃発により、再びその戦火を拡大することとなった。
夏期におけるドイツ軍の攻勢は驚くべき速さで
モスクワ、レニングラード、スターリングラードの
諸都市に迫り、ソ連の屈服も時間の問題と思われた。
日本の世論は、ドイツの勝利に便乗して
一気に満蒙問題を解決しようとする方向へ動いていった。
しかし、陸軍が対ソ戦を計画していたのに対して、
海軍はアメリカを仮想敵としており、
ここに、日本の国策の矛盾が露呈したのである。