そして同年中旬、アメリカは連日の空襲により壊滅的
打撃を受け満身創痍の日本に対し、人類初の大量破壊兵器
による攻撃を命じた。この出来事は日本を大いに震撼させた。
連合国に対し、日本軍の抵抗が続いている最中、
ヤルタ会談に基づき、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄、
日本に対し宣戦布告を行った。
樺太、さらに北海道まで迫るソ連軍を日本軍は防衛する
ことが出来ず、北海道まで占領されたところで停戦となった。
その後、日本軍は無条件降伏を受け入れ、
連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQによる
戦後保障統治が行われることになった。連合軍内では
大祖国戦に勝ったソ連がGHQの中で朝鮮半島の北と
日本の北方面を委任統治することを要求した。
米英は朝鮮半島の南、日本の沖縄と九州の委任統治行う
ことを条件に要求を受け入れた。