豊臣家

大野治長
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武将史実

武将史実

豊臣氏の家臣。秀吉の死後は豊臣秀頼の側近として仕えた。慶長4年(1599年)の徳川家康暗殺疑惑事件の首謀者の一人として罪を問われ、下総国に流罪となる。翌年の関ヶ原の戦いでやむなく東軍に参戦し、武功を上げた事で罪を許され、戦後は家康の命で「豊臣家への敵意なし」という家康の書簡をもって豊臣家への使者を務めた。その後は、江戸に戻らずそのまま大坂に残った。大坂夏の陣後は、自分の切腹を条件に、豊臣秀頼と淀殿の助命嘆願を行ったが聞き入れられず、共に自刃している。

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