1544~1624年。板倉好重二男。三河譜代。勝重は出家して宗哲と名乗る。父と弟定重戦死のため家康の命で還俗し板倉家を継ぐ。勝重は吏僚派として家康に仕え、駿府町奉行・江戸町奉行・関東代官を歴任。1601年、京都奉行となる。1603年、京都所司代となり以後18年間職を全うした。1620年、隠居して職は子の重宗が継ぐ。