1558~1640年。益田氏は400年にもわたって石見西部を支配していた豪族だが、1557年の吉川元春の石見侵攻以来、毛利氏に所属するところとなり、1570年に家督を相続した元祥は、毛利輝元のもとで数々の武勲を挙げた。関ヶ原の戦いで敗れた後は、輝元の家老として長門須佐に移り、減封による藩財政窮乏に対処した。