1546~1620年。出雲国大原郡を根拠地とした土豪。初め尼子晴久に属し御家老衆を務めていたが、毛利氏との抗争により尼子氏が没落してのちは毛利氏に臣従する。。文禄の役で輝元が朝鮮に渡海した折には、国元で留守を守った。また関ヶ原の戦いでは、西軍の総大将として輝元が大坂へ赴いた時も、広島城で留守居役を務めた。