1560~1600年。近江坂田郡石田村の出身で、佐和山城の城主。近江国長浜城主時代の秀吉に見出され、側近の吏僚として次第に頭角を現す。1585年、秀吉の関白就任にともない諸大夫の一人となり、従五位下治部少輔に叙任される。秀吉亡き後、大老の家康と対立。関ヶ原の戦いでは西軍の首脳となるが、敗れて斬首された。