1551~1610年。伊奈忠家の子。代々関東郡代を歴任した。1582年、本能寺の変後、小栗正氏の推挙で三河に帰国した家康に仕える。1586年、家康の近習となり、1590年の小田原攻めの際、秀吉に建言して激賞を得た。家康の関東入封以降、江戸の河川工事をはじめとする治水運営に尽力し、度量衡の改正も行い、税収の増加に寄与。