1538~1616年。本多俊正の子。幼少時より家康に近侍し、官吏として仕えた。三河の一向一揆で一揆方に弟正重と参加した。家康への帰参は1570年とも、1582年ともいわれる。1590年、家康の関東入封で一万石を受ける。関ヶ原の戦いの時中山道から西進した秀忠に従い、遅参した。1607年、秀忠付の年寄となった。