1546~1614年。弟義時と家督継承を争い、義時を退けて最上氏当主となる。義時を推した一族、土豪を攻めて山形盆地の支配を固めた。勢力を拡大する伊達政宗を蘆名、佐竹氏らと組み、封じ込めようとしたが失敗。秀吉に所領を安堵され、朝鮮の役では肥前国名護屋城に在陣した。秀吉没後は家康に属して57万石の大名に。