1546~1604年。初め信長に、のち秀吉に仕える。中国攻めでは秀吉軍の先鋒を務め、その後も九州・小田原攻めなど主要な戦いに従い、竹中半兵衛亡き後の秀吉の軍師として辣腕を振るう。しかし文禄・慶長の役で石田三成と意見の相違により衝突、このため関ヶ原の戦いでは東軍に与して豊後で三成派の大友義統を破った。