1542~1611年。平岩親重の子。1559年、家康の子信康の傅役となる。1582年、武田家滅亡後甲斐の目代として赴任。1590年、甲斐の金山経営や武田旧家臣団の再編に尽力する。1585年、真田の上野沼田城攻めに参戦、敗退。関ヶ原の戦いの時、上野廐橋城で東北方面守備。1603年、家康九男義直の甲斐入国でその傅役となる。