1555~1609年。牧野成定の子で貞成ともいわれる。1565年、人質として駿河に送られたが、のちに帰国して家康の一字を賜わり、康成と改名。1575年、長篠の戦いでは酒井忠次麾下の国衆として参戦。1600年、秀忠に従い上田城を攻めたが、降伏する兵を殺すべきではないと主張し、陣より離脱して蟄居となる。