1544~1609年。島津義久の家老。1578年、日向新納院高城地頭となる。同年大友義鎮を高城で撃破、さらに義久に従って耳川で大友氏に大勝を収めた。その後、一連の相良氏・龍造寺氏攻略戦に従軍した。1587年、豊後に遠征していたが、秀吉軍の羽柴秀長に降って、子の有楽を人質として差し出した。