?~1613年。美濃国可児郡の出身で、前田利家に仕えた。槍術を宝蔵院胤栄に学び、「槍の才蔵」と異名をとるほどの名手。利家が信長から能登22万石に封ぜられると、これに従い末森合戦などで活躍した。その後、前田家を辞して福島正則に仕える。関ヶ原の戦いでは、東軍の先鋒福島隊の先頭部隊長を務めて奮戦した。