1548~1610年。本多忠高の子。徳川四天王の一人。桶狭間の戦いで大高城守備の家康に従い初陣。1590年、小田原の合戦による戦功で上総大多喜城主となる。関ヶ原の戦いでは井伊直政と並び、東軍先鋒の軍監となった。1601年、伊勢桑名城へ移封され、15万石に加増。大小合戦は生涯57回におよび、無敗の将として死去した。