1582~1615年。本多忠勝の二男。関ヶ原の戦いに参戦し、1601年、関ヶ原の戦いの論功行賞で、上総大多喜城主となる。1614年、大坂冬の陣に参戦。1615年、大坂夏の陣では、天王寺口の先手と着陣して戦闘をしかけたが、豊臣方の大野治房・毛利勝永らの猛攻に遇い、討死した。遺体が陣中を通る時、家康が涙したいわれる。