1595~1650年。越前国北庄藩主。結城秀康の嫡子。父秀康の病没後に当主となる。秀康の集めた家臣団を統制できず、家臣団の対立が内乱同様にまで発展、家康・秀忠の裁定を仰ぐ。領民に長く慕われるほどの善政を行いながら、不行跡の罪で改易され、豊後国萩原へ配流になる。不行跡の内容は諸説あり、はっきりしない。