1554~1626年。近江浅井郡の出身で秀吉の家臣。のちに淡路洲本城の城主。賤ケ岳七本槍の一人に数えられ、別所氏の播磨三木城攻めに加わったほか、九州平定戦、小田原の陣などにも参陣。朝鮮派兵に際しては、九鬼嘉隆・加藤嘉明らとともに水軍の将として活躍した。関ヶ原の戦いでは、初め西軍に属したがのちに東軍に呼応。