1521~1596年。近藤太重輔が近江国水谷郷を与えられ、のちに水谷氏を称した(水谷正村)。氏俊の時、下総国に下り結城氏に仕える。以後、結城氏に属して周辺領主と争う。正村も下総国芳賀郡に侵攻した。秀吉や家康に接近して関係を深め、家名の存続を図る。剃髪して蟠竜斎と号し、弟勝俊に家督を継承した。