?~1600年。石田三成の兄。秀吉の臣。朝鮮出兵の折は肥前名護屋城の裏門の警備にあたる。醍醐の花見では秀吉の側室松の丸殿を警護。関ヶ原に際しては西軍に属し、父正継とともに佐和山城に籠城して三の丸を守備し、小早川秀秋の軍勢と戦ったが、家康の開城交渉に応じ城を明け渡す。落城とともに自刃。