1536~1631年。管領細川晴元の勧めにより1544年に家督を継ぐが、父政長の死で摂津榎並城から退去。以後、丹波国宇津を拠点にし、三好長慶と対立した。長慶病死後は三好三人衆と和解が成立。1570年、信長に降って摂津豊島郡に所領を得た。のちに秀吉に仕え、会津征伐には家康与力として参加、新たに2020石を加増された。