?~1590年。相良義陽・忠房・長毎の3代に仕えた重臣。対外交渉に優れた長智は、1581年の義陽討死後、幼主忠房の地位を島津氏に承認させ、豊後出兵に協力した。秀吉下向の際、連歌を披露して歓心を得る。天正の国人一揆の際も、上洛して疑いを解いた。犬童頼安とともに、相良氏が近世の大名として生き残れるよう尽力した。